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大淀町の名産・特産品はお茶・梨の他、りんご、ぶどう、日本酒、しめじなどがあります。

 
温暖な風土であることからお茶の栽培は、古くから行われていたといわれています。ことに江戸末期、宇治の製茶技術が加わり大きな伸長をとげました。その後も、製茶の機械化など研究が行われ、今や良質なお茶が全国的に知られています。
今から200年程前、北河内(今の大阪府)に忠治郎という竹かご屋が住んでいました。竹かごは茶作りに大切な道具でしたので、茶で名高い宇治(今の京都府)へ竹かごを売りに行ったり、中増へも売りに来たりしていました。
ある日、忠治郎は、中増のお茶を飲んでみましたが、あまりおいしく感じませんでした。そこで、なんとかおいしいお茶が作れないものかと考え、宇治へ行って、宇治茶の作り方を習い、中増の人達に熱心に教えました。忠治郎の熱心な教えもあり、中増でも濃い緑色の美味しいお茶ができるようになりました。 村人たちは「忠治郎先生」と慕い、忠治郎が亡くなった後も安養寺に供養し、茶をそなえ、おまつりをしました。今も、茶組合がこれを受け継いで、おまつりを続けています。
 
現在大淀町では、約70戸の農家が梨を生産しており、収穫期には梨狩りを楽しむ人々で賑わっていますが、本町の梨の栽培はいつごろ始まったのでしょうか。大淀町の梨の歴史は、今から100年ほど前にさかのぼります。場所は、奥徳平が作った「薬水園」という名の果樹園。徳平は大阪出身で札幌農業学校(札幌農大の前身)を卒業後、大淀町に移りました。彼が中国の白梨を元にした人工交配により作り出した「凱旋梨(かちどきなし)」という梨は、色・形ともに美しく薄皮で、純白の果肉はカスもなくさっぱりとした甘みをもつものでした。
ただ、黒斑病に弱く栽培が困難ではありましたが、徳平はその後も難点の克服のため努力を続けました。「凱旋梨」の名は今では残っていませんが、これは登録商標を受け継ぐものがいなかったり、北海道の同名の日本酒の存在や、後に松戸の二十世紀梨の名称に統一されていたようです。徳平は生涯独身を貫き、51才の若さでこの世を去るまで、この凱旋梨の栽培に情熱を注ぎました。当時を知る人は少なく、また、裏付けとなる資料も焼失(昭和15年10月、倉庫より出火)したため、正確な記録を得ることはほとんど不可能となってしまいましたが、奥徳平が梨栽培に果たした業績は非常に大きく、梨作りに携わる人々に今も伝えられ、凱旋梨の源樹も樹齢80年を越えた今も大切に残されています。
 
 
 

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