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大淀町の特産品

2024.5.27

大淀町では、現在約45戸の農家が梨を生産しており、収穫期には梨狩りを楽しむ人々で賑わっていますが、本町の梨の栽培はいつごろ始まったのでしょうか。大淀町の梨の歴史は、今から100年ほど前にさかのぼります。場所は、奥徳平が作った「薬水園」という名の果樹園。徳平は大阪出身で札幌農業学校(札幌農大の前身)を卒業後、大淀町に移りました。

 

 

彼が中国の白梨を元にした人工交配により作り出した「凱旋梨(かちどきなし)」という梨は、色・形ともに美しく薄皮で、純白の果肉はカスもなくさっぱりとした甘みをもつものでした。ただ、黒斑病に弱く栽培が困難ではありましたが、徳平はその後も難点の克服のため努力を続けました。「凱旋梨」の名は今では残っていませんが、これは登録商標を受け継ぐものがいなかったり、北海道の同名の日本酒の存在や、後に松戸の二十世紀梨の名称に統一されていたようです。徳平は生涯独身を貫き、51才の若さでこの世を去るまで、この凱旋梨の栽培に情熱を注ぎました。

 

 

当時を知る人は少なく、また、裏付けとなる資料も焼失(昭和15年10月、倉庫より出火)したため、正確な記録を得ることはほとんど不可能となってしまいましたが、奥徳平が梨栽培に果たした業績は非常に大きく、梨作りに携わる人々に今も伝えられ、凱旋梨の源樹も樹齢80年を越えた今も大切に残されています。