大淀古道(安産の滝)
2024.5.27
いにしえ、貴族が飛鳥から吉野に入るもっとも平坦な道は、巨瀬路から今木を通り下渕に抜ける道でした。遠回りですが、大勢連れで越すには一番良い道で、最も古くに開けました。これに対し、壺坂を越えて吉野に入る道は、直線コースではあるものの、非常に険しい道でした。しかし、この道を越えてもたらされた仏教文化は壮麗な吉野寺の建立につながり、吉野における仏教文化のはじまりとなりました。
平安貴族はこの道を通り田口に出て吉野寺に参り、六田から渡しを経て吉野に入りました。その後も修験道の隆盛と共に栄えました。田口集落から離れること数百メートル、安産の滝の上にあった安佐寺は、その由緒は不明ですが、藤原朝時代の作と思われる優秀な仏像が安置されていたことから立派な寺であったことが偲ばれます。大淀古道は、山上参りの客で賑わい、明治中期頃まで茶店や、めし屋もあったように、今では想像もできないほどの、人の行き交う道であったようです。